運動について言われてきたことの多くは、失礼ながら、ちょっとおかしいと私たちは思っています。Wakeoutはジムと戦っているわけではありません。私たちが向き合っているのは、フィットネス文化があなたと自分の体との関係にしてきたことです。ここからは、そのことを具体的にお話しします。
第1章
フィットネス文化があなたに求めていることを見てみてください。特別な場所に行き、特別な服を着て、特別な道具を使い、特別な時間に運動する。ジムはただのジムではなく、運動しないふだんの自分を清めるために入る神殿のようなものです。
その前提にあるのは、あなたの体には欠陥があるという考え方です。怠け者で、言うことを聞かず、おやつを持ってソファに座りたがる罪深い存在で、しつけて形を整えなければならない、と。「痛みなくして得るものなし」は、スポーツウェアを着た苦行のようなものです。
パーソナルトレーナーは神父に、鏡は祭壇になります。そして罪悪感は無料で、いくらでも手に入ります。
第2章
ちょっと大胆な考え方をしてみましょう。あなたの体は堕落なんてしていません。あなたに逆らってもいないし、新年の目標をこっそり妨害しようともしていません。体はもともと動きたがっています。ずっと、動きたがっていたのです。
ただ、椅子中心の文化に静かに人質にとられていただけです。その文化はあらゆる動きを「ジム」という専用の部屋に押し込め、そこに行かないあなたに罪悪感を抱かせてきました。
Wakeoutは体に動き方を教えているのではありません。体の行く手をふさいでいたものを取り除いているだけです。
第3章
雑誌の表紙にふさわしい体になる必要はありません。動くのは、自分自身とちゃんとつながっているためです。頭がすっきりして、できることがあって、目が覚めていて、メールに返信してもいいかなと思えるくらいには元気でいるために。
動かなくなった体は、こわばりや頭のもや、片づけきれなかったZoom会議の名残りに少しずつ占領されていきます。1日のあちこちで何度かちょこっと動けば、通り道は開いたままです。秘訣はそれだけです。
動いている体は、地味でも、やさしく生き生きとし続けます。
第4章
動くことは、考えるための準備運動ではありません。動くこと自体が、考えることです。たとえ話ではなく、文字どおりの意味で。本気でそう思っています。
歩いているうちに行き詰まっていたアイデアがほどけたとき、散歩はそのアイデアのための「準備」をしたわけではありません。散歩そのものが、アイデアがやってくる時間だったのです。ストレッチをして不安がやわらいだとき、ストレッチは症状をやり過ごすテクニックではありません。脳が考えきれなかったことを、体が考え終えてくれたのです。
心は、肉の着ぐるみに入った幽霊ではありません。心と体は、まるごとひとつです。それに合わせて、ちょこっと動きましょう。
第5章
お医者さんにも、元恋人にも、アルゴリズムにも、お正月に親戚の集まりで余計なひとことを言ったあの人にも、借りなんてありません。
動くことは、自分自身への贈りものです。罰でも、誰かに見られるための準備でも、夏前のあわてダイエットでもありません。一日中あなたを運んでくれた体に「おつかれさま」と声をかける、小さくて地味で、とても基本的なことなのです。
体は動きたがっています。Wakeoutは、そのじゃまをしないだけです。
考え方を、ボタンにすると
Wakeoutを開くのは、運動するためではありません。気分を変えたいからです。私たちはそこから始めます。
どちらでもOKです。寝転がってもカウントされます。難易度のはしごも、「本物」のバージョンを手に入れるための努力もいりません。
それこそが達成です。あなたの体をゲームの道具にはしません。体はもう十分がんばってきました。
必要なものは1日の中でも変わります。だから私たちの答えも変わるべきです。朝のあなたと16時のあなたは、ほとんど別人ですから。